鈴木商店こぼれ話シリーズ②「 大正生命保険&日本教育生命保険社長・柳原義光は、歌人柳原白蓮の異母兄」をご紹介します。

2017.2.18.

yanagihara2-thumb-640xauto-2470柳原義光.jpg柳原 義光(やなぎわら よしみつ)(明治9(1876)年9月2日 ~ 昭和21(1946)年1月25日)は、柳原前光伯爵の長男として生まれる。母は伊達宗城の次女の初子。明治27(1894)年、父の死去により18歳で伯爵家を継ぐ。叔母の柳原愛子は大正天皇の生母であり、義光は大正天皇の従兄にあたる。明治37(1904)年7月、貴族院伯爵議員となる。

柳原は、同時に実業界にも人脈を広げ、明治44(1911)年1月には「日本教育生命保険」の社長に就任している。経営の実態は、専務の瀧山氏が握っており、柳原はその社会的地位から企業の顔として利用された。(左は、柳原が社長を務めた大正生命保険、日本教育生命保険、新日本火災海上保険3社の絵葉書)

大正11(1922)年10月、異母妹の燁子(あきこ)(歌人・柳原白蓮)が白蓮事件を起こしたことから、翌大正12(1923)年3月に貴族院議員を引責辞職する。

日本教育生命保険は、明治33(1900)年鈴木商店の出資により鈴木系列となったが、柳原は、大正2(1913)年に鈴木商店が設立した「大正生命保険」の社長にも就任した。いずれも華族としての信用を利用するために担がれた社長職であったが、欠損を累積させて逆に運転資金を捻出する羽目になり、昭和の始め頃には麻布桜田町の本邸を売却している。

大正14(19259)年7月から貴族院議員に復帰し、終生伯爵議員を務める。なお、絶縁状態であった妹・燁子とは昭和10年(1935)年に和解している。

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