クロード式窒素工業の歴史を紹介するシリーズの6回目です。
クロード式窒素工業から経営を引き継いだ第一窒素工業は、昭和2(1927)年の後半あたりからようやく技術力も向上し、安定経営に向かおうとした矢先の同年4月2日、親会社の鈴木商店が経営破綻を余儀なくされます。
この結果、同社はたちまちにして運転資金・改造資金不足に陥り、彦島工場の運営は困難の極みに達しました。
結局、クロード法の彦島工場と彦島製錬所は三井鉱山へ引き渡され、三井によって経営が引き継がれることになります。
写真は、今も残る安母尼亜(アンモニア)合成運転日誌(昭和3年2月1日~4月6日)です。
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