「米価問題と鈴木商店」をご紹介します。

2016.4.25.

)4304-1米価問題と鈴木商店(表紙.jpg大正7(1918)年7月、富山に端を発した米騒動は、神戸にも飛び火し同年8月、東川崎一丁目(現在の神戸市中央区栄町通7丁目)の鈴木商店本店は焼き打ちに遭いました。当時鈴木商店は政府の米価調節策に応じて外米輸入や朝鮮米移入を行っていましたが、その過程で「買い占め」等の風説が流れたことが主因といわれています。

米騒動による焼き打ち事件後、鈴木商店が米価調節問題における自らの立場を述べ、国益を重視し、商売利益を度外視して政府の米価安定策にいかに貢献したかを明らかにし、 買占め等の風評が全く根拠のないものであることを、データと事実に基づいて自ら説明し、その潔白を世に問うた冊子が出されました。

「米価問題と鈴木商店」と題する冊子は事件から4か月後の大正7(1918)年12月にまとめられ、翌大正8(1919)年2月5日付で「鈴木商店米部」を発行人として印刷されました。神戸高商出身の永井幸太郎が執筆したものといわれています。同冊子の「結論」で、「当店は決して他を怨まず、自らの不徳を責めて益々国家社会のために貢献する」、「今回の不幸は転じて他日の幸福となるべく大いに励みつつあり」と結んでいます。

作家城山三郎の「鼠」を始め、その後の調査、研究及び検証を経て、鈴木商店が焼き打ちの標的となった原因は、誤解と曲解に基づく風説によるものであったことが明らかにされており、「米買い占めの鈴木」という負のレッテルは払拭されました。

同論文は鈴木商店に関わる研究でも頻繁に引用されています。原文は縦書き・旧字体・カナ混じり文で今日では読みにくいため、この度、当記念館で横書き・ひらがな文による新字体の現代語表記を作成致しました。原文と併せ鈴木商店の研究にご活用ください。

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