神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の第19回をご紹介します。

2016.10.12.

miisinngureen.PNG神戸新聞の連載「遙かな海路 巨大商社・鈴木商店が残したもの」の本編「第3部 頂点に立つ (19)英国拠点に強気の商い 高畑の交遊術 巨利を生む」が、10月9日(日)の神戸新聞に掲載されました。

今回の記事は、愛媛県内子町の高畑誠一の遺影が掲げられている高畑家の親族へのインタビユーの場面から始まります。続いて高畑が神戸高等商業学校(現・神戸大学)を卒業して鈴木商店に入社し、その後ロンドン支店員に抜擢されたこと、ロンドンでは自ら広げて行った人脈により収集した情報を基に「三国間貿易」や「一船売り」など強気のビジネスを展開し、巨額の利益をあげたこと、ロンドンでの華やかな生活ぶり、高畑が生涯愛したゴルフにまつわる話などが描かれています。

takahataseiiti.PNG高畑誠一は愛媛県喜多郡内子町に出生。生家は内子町ではかなり古い家系で、呉服、食料品、日用雑貨までなんでも扱う小売店でした。

旧制西条中学校(現・愛媛県立西条高等学校)を経て神戸高等商業学校(神戸高商)を卒業。神戸高商在学中は三井物産入社を志望していましたが、金子直吉と昵懇(じっこん)であった水島銕也(てつや)校長の推薦により明治42(1909)年3月、鈴木商店に入社します。


上の写真は内子町の内子小学校に設置されている高畑誠一の胸像です。内子町には現在「高畑奨学金制度」があり、経済状況の厳しい家庭の子供たちへの大学進学の支援を行っています。また、高畑は内子町に公民館建設費として500万円を寄付しており、現在この公民館は内子幼稚園としてリニューアルされています。

冒頭の写真右は、かつて鈴木商店ロンドン支店があったミーシングレーンです。

ronndonnsitenn.PNGロンドン支店長の高畑は、ロンドンに赴任した大正元(1912)年当時から英国食糧省、船舶省を始め政府関係者との人脈を着々と築いて情報収集に注力し、サイゴン米を始めあらゆる商品の「三国間貿易」を展開しました。

そして、第一次世界大戦が予想以上に長期化することを察知した高畑は、金子直吉による「一斉買い出動」の大号令に先んじて物資不足に悩む連合国相手に強気のビジネスを展開します。当面の相手は世界の政治、経済の中心地として絶頂期にあった大英帝国でした。当時、日本人は、白人社会では見下されていました。

しかし高畑は怯むことなく果敢に挑戦し、英政府に対して、50万ポンドという英国人でさえ目にしたこともない高額の小切手による手付金を要求するに至ります。

高畑はロンドンで最も有名なビジネスマンの一人といわれ、チャーチル首相が英海軍大臣時代に高畑を「皇帝(カイゼル)を商人にしたような男」と評したともいわれています。食料品の注文が殺到すると高畑は、北海道の豆類、澱粉、雑穀類を満載した船もろとも売り渡すという「一船売り」の離れ業を実行しました。また、鈴木商店がイギリス政府に売り込んだ小麦、小麦粉は膨大な量に達し、大戦中欧州の戦場では鈴木の商標(SZK・イン・ダイヤモンド)のついた大量の麻袋が連合軍の塹壕(ざんごう)土嚢(どのう)に利用され、当時スエズ運河を通過した船舶積荷の分量からいっても、鈴木商店関係は一割を占めていたといわれました。

鈴木商店の信用は一気に高まり、(えい)(らん)銀行(イングランド銀行)から一度の交渉で、当時の邦貨で1億円という巨額のクレジットを得るほどになりました。

上の写真は愛媛人物博物館(松山市)に掲げられている、ロンドンの高畑家で開かれた鈴木商店ロンドン支店のパーティーの様子です。

golf_takahata.jpg一方で、高畑は大正元(1912)年頃から、健康向上のために横浜正金銀行ロンドン支店支配人・巽孝之丞の勧めもありゴルフを始めます。以来、ゴルフの魅力にとりつかれた高畑は、腕前の上達とともにゴルフとの深い関わりを持つことになります。

大正10(1921)年、昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパを外遊をされた際、自らもメンバーであるロンドンのアジントンゴルフ場での接待係として高畑に白羽の矢が立ち、皇太子には全英オープン最多優勝者・ハリー・バードンを含む4名の一流選手によるエキシビジョンマッチをご高覧いただいたのでした。左の写真は高畑が企画したゴルフの天覧試合の様子です。

高畑は、ロンドン支店時代に作ったドライバーに傷が付くことを恐れ、ヘッドに靴下をかぶせました。このことから高畑は世界で初めてゴルフのヘッドカバーを考案した人物として知られており、英国で発行されている「ゴルフ百科事典」にもこのことが記述されています。

高畑は帰国後、日本アマチュア選手権に12回出場し、昭和6(1931)年には2位となり、関西アマでは2回優勝しています。また、広野ゴルフ倶楽部(兵庫県三木市)などのゴルフ場の監修や日本で初めてのルールブックを作成、関西ゴルフ連盟を設立するなど日本ゴルフ界に多大な貢献をしました。

高畑自ら監修した内子町の愛媛ゴルフ倶楽部のクラブハウス内には、ロンドン時代の写真や高畑が愛用したゴルフクラブなどが展示されています。

matukatakoujirou.PNG鈴木商店ロンドン支店の一室では、金子の紹介を受け、松方幸次郎(左の写真)が高畑とともにビジネスを展開。松方は、神戸港に並べた船舶をイギリス政府に大量に売りさばき、巨額の富を得ました。

これらの資金を使って集めた美術品が、現在主に国立西洋美術館(先日、世界遺産に一括登録されました)に所蔵されている「松方コレクション」です。高畑とたまたまのぞいた美術品のオークションが収集のきっかけといわれ、高畑は松方の収集に際して度々資金を融通しています。


下記関連リンクの神戸新聞社・電子版「神戸新聞NEXT」から記事の一部をご覧下いただくことができます。

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