鈴木商店記念館・地域特集ページに「因島三庄町(広島県・尾道市)」を新設しました。

2026.3.17.

スクリーンショット (301).jpg広島・尾道.jpg 地域特集>因島三庄町(いんのしまみつのしょうまち)(広島県・尾道市)を新設しました。(下記関連リンクの「地域特集」をご覧ください。)

 因島は、本州尾道から約17km南にある面積35.03㎢の小島で、古くは塩田として栄えたが、中世には村上水軍の本拠地として、近世には廻船業が盛んとなり、明治以降には造船業 が興り近代は造船の島として知られている。

「因島」の名の由来は、古くは「斎島(いむしま)」「隠の島(いんのしま)」「因島(よりのしま)」「寄島(よりしま)」「院の島(いんのしま)」「因島(いんのしま)」等と変わってきており、明治22(1889)年町村制施行後、「因島(いんとう)」と呼ばれ、現在でも島内では"いんとう"と呼ぶ人がいる。 

 明治44(1911)年、日立造船の前身・大阪鉄工所が因島に進出し、わが国初の鋼船建造を実現し洋式造船業の先鞭をつけたことから造船の島・因島を全国的に知らしめた。

 予て造船、海運に進出を図っていた鈴木商店は、大阪鉄工所より遅れる大正6(1917)年、地元「備後船渠」の経営に乗り出し、神戸製鋼所関係者を経営陣に送り込んだ。鈴木商店の買収時の備後船渠は、ドックの増設、工場の拡張を進め、大阪鉄工所・因島工場に次ぐ職工1,400人を擁する規模であった。鈴木商店により海岸埋め立て、更なる諸設備の拡張を図り「備後船渠」は、短期間ながら鈴木商店の本格的な造船業への最初のステップと云える。

 大阪鉄工所との間で激しい職工の争奪戦を繰り広げたが(広島県史"近代2")、折しも兵庫県相生の播磨造船の再建を懇請された鈴木商店は、同社の買収を決定し、播磨造船所を設立することから、備後船渠の経営を断念し、播磨造船所の拡張に注力することとなった。

 大正8(1919)年、鈴木商店は備後船渠を大阪鉄工所に売却、因島の造船は文字通り大阪鉄工所一色になった。

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