久保田四郎

硬化油の研究に邁進し、工業化への道筋をつける

生年 明治21(1888)年2月
没年 昭和27(1952)年頃

兵庫県豊岡市に出生。東京帝国大学工学部応用化学科で油脂加工を学び明治45(1912)年卒業後、鈴木商店に技師として入社。入社間もなく、金子直吉から硬化油の研究を命じられ、鈴木商店の魚油倉庫(神戸市・苅藻島)の片隅に設けられたわずか2~3坪の小さな研究室で1年余り研究を続け、これがやがて硬化油工業へと進展していく最初の核となる。

鈴木商店は神戸市脇浜の神戸製鋼所内の中央研究所に硬化油パイロットプラントを建設することを決定。鈴木商店の化学部門における最高顧問格であった村橋素吉、村橋の鉄道院時代の部下であった牧実、小林富次郎商店(現・ライオン)に在籍していた磯部房信(後・清水、横浜、鳴尾、大連の大豆製油工場の監督者、クロード式窒素工業創業時の技術監督)、長郷幸治、二階堂行徳の5名が集結し、久保田とともに硬化油パイロットプラントと兵庫工場の建設・運転に当たる。

大正3(1914)年末、硬化油パイロットプラント(日産100kg)が完成。大正4(1915)年、鈴木商店製油所兵庫工場が完成し久保田が初代工場長に就任。

大正5(1916)年、兵庫工場において魚油を用いた日産5トンの硬化油製造に成功。鈴木商店が初めて工業的に硬化油を開発し、その後油脂工業界に革新的変化をもたらしたという点において、これがわが国における硬化油工業の嚆矢と言われている。

久保田は、油脂事業の研究者として数多くの実績を残したのみならず、鈴木商店製油所兵庫工場長、スタンダード油脂取締役、合同油脂グリセリン常務取締役、(第一次)日本油脂常務取締役・専務取締役・副社長、さらに(第二次)日本油脂の顧問に就任し、日本油脂(現・日油)に至るまでの紆余曲折の統合・合併に際し経営陣としての手腕を発揮し、同社の発展に貢献した。

研究者としては次のような論文を残している。
〇「グリセリン工業に就いて」論文 工業化学雑誌 1937年
〇「最近の油脂工業」論文 工業化学雑誌 1942年
〇「南方油脂資源の利用と我国油脂事情に就いて」論文 工業化学雑誌 1942年
〇「油脂業界の現状及び将来―特集・油脂工業」論文 化学工業誌 1950年8月
〇「事業の概況」久保田四郎編 合同油脂(株) 昭和8(1933)年

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