⑫鈴木商店釧路出張所

北海道東部の要衝・釧路港より木材の積出を担う

 江戸時代、北海道は蝦夷地と呼ばれ、釧路はアイヌ語で「クスリ」と呼ばれていた。寛永11(1799)年に蝦夷地が幕府領になると、本州から農民や漁民の移住が増え、漁業や交易、交通の拠点となった。その後、明治政府のもとで蝦夷地は北海道になり、「クスリ」は釧路と改められ、明治32(1899)年の釧路港の開港により釧路の街は飛躍的に発展して行った。 

 釧路の街は、歴史ある3つの産業により発展した。釧路川と新釧路川の海岸沿いに分かれ、東側は、大正9(1920)年の太平洋炭鉱の創業から始まった"炭鉱の街"、真ん中が明治中期頃から沿岸や沖合での漁が定着した"漁業の街"、西側が大正9(1920)年の日本製紙釧路工場の操業開始からの"製紙の街"という特徴が見られる。

 鈴木商店釧路出張所は、大正8(1919)年に開設され、池田鴻志が出張所長として派遣された。所在地は、釧路市真砂町11(現・南大通り)。 同出張所では、鉄道用枕木をはじめ木材の取り扱いを行っていた。

 所長に任命された池田鴻志は、明治18(1885)年高知県安芸郡生まれで、大正5(1916)年鈴木商店系の炭鉱会社(帝国炭業)に入社。その後鈴木商店大阪支店・木材部、翌大正6(1917)年台湾木材部を経て34歳の時、釧路出張所に赴任した。然し、5年後の大正13(1924)年、池田は鈴木商店の関係先・(株)釧路木材倉庫の監査役として39歳の若さで世を去った。鈴木商店釧路出張所は、事業再編の事由により閉鎖されていた。

 

 

関連資料

  • 現在の釧路港
  • 鈴木商店釧路出張所があった釧路・真砂町(現在の南大通)(大正10年頃)
  • 池田鴻志釧路出張所長(「釧路の人物」釧路日日新聞社、大正11年)

TOP