日本鉱業会総会の席上で公演を行う朝比奈 専務(昭和35年4月19日)

朝比奈敬三は南満州鉄道撫順炭鉱採炭所長、北支那龍煙鉄鋼理事などを経て終戦後、羽幌炭砿入社。同社鉱業所長、取締役採炭部長、常務取締役生産部長、専務取締役。終戦後の混乱期に、羽幌炭砿は人出不足・労働意欲の低下による出炭量の減少を打開するため、昭和22(1947)年に年産800万トンを誇る満州の撫順炭鉱で採炭の第一線に立ち最先端技術を有する朝比奈敬三を迎えた。昭和25(1950)年の労働争議終結後、朝比奈は徹底的な合理化と技術革新によりコストダウンをはかるとともに出炭量の増加に邁進して行った。昭和35(1960)年4月19日、日本鉱山技術界における最高の栄誉である「渡辺賞」を受賞。審査の対象となったのは、その名も「築別炭砿の合理化」と題する論文と築別炭砿における合理化の実績そのものであった。また長年石炭鉱山の保安確保に残した功績大として藍綬褒章を受章。その卓越した技術力により羽幌炭砿を中小炭鉱の雄に導いた功績は極めて大きい。写真は日本鉱業会総会の席上で「築別炭砿の合理化」の演題で公演を行う朝比奈専務。

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