検索結果へ戻る 写真を検索する 鈴木商店写真館 太陽小学校の円形体育館完成間近 (昭和37年6月1日付「広報はぼろ」より) 太陽小学校は昭和15(1940)年12月8日、太陽尋常高等小学校として開校。場所は末広町にあった太陽産業の社宅の一部を借用し校舎とした。昭和16(1941)年4月1日、太陽国民学校に改称。昭和22(1947)年4月、太陽小学校に改称。「太陽」の名称は、創業期の炭鉱所有者で鈴木商店の後継会社たる太陽曹達(後の太陽産業)に由来する。昭和22(1947)年4月1日、太陽小学校に改称。昭和35(1960)年当時の全校生徒数は1,065名。留萌管内で1、2を争う大規模校となる。体育館、グラウンド、図書室、保健室なども完備し、設備の面では都会の学校に決して劣るものではなかった。なかでも管内のトップを切った二つの施設があった。一つは一つは道北では初めてとなる当時大変珍しかった円形体育館。もう一つは公式プールで、これも管内の一番手として完成した。 ※昭和37年6月1日付「広報はぼろ」(羽幌町発行)に、完成間近の円形体育館の様子が写真とともに掲載された。(上の写真) 鈴木商店の歴史>金子直吉のお家再興に向けて 地域特集>羽幌 企業特集>炭鉱 炭鉱, 築別炭砿, 羽幌, 金子直吉のお家再興に向けて