羽幌炭砿鉄道病院(当時)

築別炭砿の羽幌炭砿鉄道病院は、昭和19(1944)年12月に炭鉱地区の医療センターとしての形態が整う。昭和31(1956)年に増築。当時の建坪は1,458.6㎡で、診療科科目は内科、外科、婦人科、耳鼻科、レントゲン科。病室14、ベッド数50、手術室、分娩室、薬剤師室、研究室、機械器具室、薬品室、消毒室、検査室、準備室、事務室、炊事室、完全スチーム暖房などを備えていた。医師4名、レントゲン技師1名、看護婦、事務員合わせて総勢38名の体制であった。(医師は羽幌本坑診療所、二坑(上羽幌坑)診療所の各1名を含め6名体制。)10年以上にわたり炭鉱地区の一万人を超える炭砿(ヤマ)の従業員や家族はもちろん、炭鉱周辺の農家の人々の健康を守り続けてきた病院であったが、地域人口の急増に伴って入院患者が増加し、既設のベッドは常に満床状態であった。そこで、昭和43(1968)年にリハビリテーション用の新病棟を増築。訓練室、流浴室、物療室があり、肩関節輪転運動器、下肢屈伸運動椅子、固定自転車、手関節回旋運動練習器、渦流浴装置、超音波・低周波マッサージ機などを設置。脳溢血、小児麻痺などの後遺機能回復はもちろん、特に鉱員に多い骨折などの外科患者のために早期開設が待たれていたもので、これにより短期間での回復、ひいては石炭の生産増強に繋がることが期待された。さらに、同年度中に超音波脳診断装置、分光光度計、小児用循環麻酔装置、酸素テントなども完備、当時としては医療設備の充実した病院となった。炭砿の閉山に伴い、昭和46(1971)年3月に閉院。近年、建物の傷みが急速に進行しており、屋根の部分も崩落してしまった。                                                                  

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