太陽産業羽幌出張所・羽幌鉄道創立事務所  (昭和14年頃)

鈴木商店の後継会社たる太陽曹達は昭和14年春、羽幌鉄道を設立。同年、太陽曹達は太陽産業に改称するとともに羽幌駅前に太陽産業羽幌出張所を、築別御料に太陽産業羽幌砿業所を開設。鉱区を「築別炭砿」と命名して開発に着手し、昭和15年2月に開坑した。同年7月10日の創立総会において太陽産業羽幌砿業所は羽幌炭砿に改称。社長に岡新六、専務取締役に金子三次郎、常務取締役(初代砿業所長兼採鉱部長)に古賀六郎、支配人(経理部長兼務)に町田叡光(後第二代社長)、監査役に谷治之助が選任され、これら元鈴木商店の幹部や金子直吉の縁者が開発を支えていくことになる。昭和16(1941)年5月5日には羽幌鉄道が羽幌炭砿を吸収合併する形で、羽幌炭砿鉄道が誕生する。太平洋戦争が勃発した6日後の12月14日、工期2年余りの短期間で悲願の羽幌炭砿鉄道(「築別炭砿―築別」間16.6km)が開通し、石炭企業の基盤となる輸送手段が確立した。                                                                  写真は太陽産業羽幌出張所・羽幌鉄道創立事務所を撮影した大変貴重なもので、当時の建物、関係者の服装。自動車などの様子がよく分かる。

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