松原藤助

カネ辰・辰己屋宗家は、姫路・酒井藩家臣の松原夏蔵がルーツ

カネ辰暖簾

生年 寛政元(1789)年
没年 万延2(1861)年12月4日

播州姫路・酒井藩の松原夏蔵・ゆうの長男に生まれる。幼名藤松。藤松幼少の折、夏蔵が病死したため母ゆうは再婚、藤松は16歳の時、大阪に出て心斎橋筋で姫路特産のなめし革細工の煙草入れの商いをしていた辰己屋嘉兵衛の下で働く。辰己屋の商標「カネ辰」を後年受け継ぐ。

幼名藤松を改め藤助と称す。働きぶりを店主・嘉兵衛に認められ、嘉兵衛の次男・久兵衛が道頓堀に「南店」を開店する際、久兵衛の後見役として番頭に抜擢される。

新町の堺屋利兵衛の娘で「南店」に見習い奉公に来ていた女中の“なを”と結婚、夫婦共稼ぎで働いた。やがて長男・政七が誕生したが、養育が出来ず養子に出す。

文政2(1819)年、藤助31歳の時、次男誕生。幼名藤吉、後の辰己屋2代目恒七。
辰己屋に勤めて20年目、文政7(1824)年、藤助36歳の時、暖簾分けにより大阪大宝寺町に「辰己屋」を独立・開業。やがて宗家・辰己屋が゙没落したため、辰己屋藤助が実質初代の辰己屋となる。

藤助の家督は、養子に出した長男・政七に譲ったが、家業の辰己屋は次男・恒七が引き継いだ。万延2(1861)年、藤助は73歳で死去。長男、次男の他に“はる”、“まさ”、“ひさ”の三人の娘を残した。

関連リンク

TOP