日高和一郎

鈴木商店の豊富な海外駐在経験を生かし、海外での大手製鋼原料商社を育てる

日高和一郎

生年 明治29(1896)年 
没年 昭和45(1970)年 


徳島県出身、阿南市黒津地で代々続く船大工「日高屋」を継ぐ日高和吉の長男として生まれる。和一郎の父・和吉は、家業を継がず弟に任せ鍛冶職人となり、和一郎をはじめ家族共ウラジオストクに移住。その後、和吉のみウラジオに留まり、家族は徳島に帰った。

徳島に帰った和一郎は、徳島商に進み神戸高商への推薦入学の許可を得たが、父和吉からの送金が途絶えたため神戸高商への入学は叶わなかった。大正3(1914)年鈴木商店入社。

英語、ロシア語が堪能だった和一郎は、入社間もなく鈴木商店台北支店へ赴任。その後、大正13(1924)年香港支店に転勤し輸出入部で活躍。香港に駐在していた昭和2(1927)年、鈴木商店の破綻に遭遇。鈴木破綻後も現地に留まり「香港日高洋行」を起業、現在の「日高ユークーエンタープライズ」の始まりである。

「香港日高洋行」は、バルクキャリアーを雇船し石炭、鉄鉱石、鉄屑などの取引で順調な業績を挙げ、末弟秋雄(としお)も加わり新たにタイの鉄道廃材の売買を独占的に契約して巨利を得た。

タイでの取引が順調に伸び、日本向け鉄材のほか錫、ゴム、チーク材などのほか、日本からの雑貨品の輸入が見込まれることから、秋雄はタイに留まり「タイ日高洋行」を創設する。

一方、「香港日高洋行」は、満州事変勃発により香港での排日・抗日運動が激しくなったことから事業継続が難しく、昭和8(1933)年、和一郎は香港からの撤退を余儀なくされる。以後、「日高洋行」の歴史の舞台は、香港からタイに移り、和一郎は日本にて「タイ日高洋行」の支援という役割を担った。

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