池田源次

鈴木商店大里コンビナート建設に関わり、建設業としての基盤を確立

池田源次

生年 慶応2(1866)年
没年 不詳

土佐高岡郡新荘村(現在の高知県須崎市)の農家の二男に生まれた。同じ土佐出身の金子直吉の知遇を得て、大里製糖所の荷役業務に従事、やがて明治37(1904)年大里本町に池田組を創業して鈴木商店との結びつきを強めた。池田組から現在の池田興業に伝わる同社の社章は、創業者の名前の源と鈴木商店ゆかりの菱形(大里製糖の登録商標)を組み合わせたもので、鈴木商店との絆を表している。

その後、鈴木商店の大里への本格的な進出に伴い、大里製粉所、帝国麦酒など次々に工場建設に携わることになる。さらに大正期に入り鈴木商店が彦島地区にもコンビナート建設を展開すると日本金属・彦島精錬所(現・彦島精錬)等の建設にも携わるほか、帝国人造絹糸の岩国工場建設に関わるようになる。

鈴木商店破綻後は、帝人の三原工場をはじめ次々に帝人の各工場の建設に従事するようになり、今日の池田興業の土台が形造られた。

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